最高裁判所大法廷 昭和25年(れ)1021号 判決 1950年12月20日
主文
本件上告を棄却する。
理由
東京高等検察庁検事長佐藤博の上告趣意第一点及び第二点について。
本件公訴事実の中日本農民組合関係の事実は、被告人が昭和七年四月一七日同組合の主事に就任したこと及び同組合の事業目的を調査表に記載しなかったというのであって、被告人が同組合の主宰者であったという事実を調査表に記載しなかったという事実でないことは記録上明かである。論旨は、同組合の主事に就任したことと、主宰者であったこととは、表現上の差異で、公訴事実が主事といっているのは、正に同組合の主宰者であったことを意味しているもので、公訴事実の同一性を有するものであるから、公訴事実で主事であったということは覚書該当理由中の主宰者であったという事実に包含され、従ってまた日本の裁判権の対象にならないものであるにかかわらず原判決が公訴事実中主事であったことの有無について審判しているのは審判権の限界を誤まった違法があると主張する。しかし覚書該当理由には「なお同人を主宰者とする日本農民組合は全面的に日本国家社会党を支持する旨の声明をしているし」とあるに過ぎないから、その「被告人を主宰者とする」というのは単に被告人が事実上同組合を支配する立場にいたという程度の意味で、被告人の同組合に対する実力の方面から観察して同組合を左右する実力を有する者であることを表現したものである。これに反し、同組合の主事というのは同組合における形式上の役職名をいうのである。それゆえに公訴事実における同組合の主事ということと覚書該当理由にいわゆる主宰者ということとは所論のように単に表現上の差異で同一事実を表示しているものとみることはできない。而して覚書該当の理由となった事実については日本の裁判所はこれが存否を審理する権限を有しないが、覚書該当の理由となっていない公訴事実については日本の裁判所は、その存否を認定する審判権限を有するものであることは当裁判所の判例とするところである(昭和二四年(そ)第四号、同二五年二月一日大法廷判決、判例集第四巻第二号一〇八頁参照)。然らば原判決が公訴事実である被告人が同組合の主事であったか否かの点について審判し、検察官の起訴しない且つ覚書該当理由となった同組合の主宰者であったことを調査表に記載しなかった点について審判しなかったのは正当であって、論旨はいずれも理由がない。
同第三点、同第五点の二及び同第七点について。
日本の裁判所が調査表不実記載の被告事件において覚書該当の理由となった事実については審判の権限はないが、その事実に対する被告人の主観的認識即ち犯意の有無については審判の権限を有することは前記大法廷判決の示しているところである。そして右判決はこの種の被告事件における日本の裁判所の審判権限の範囲を判示したに止まり、被告人の犯意の意義について何等判示しているものではない。右判決理由の前段において「該事項が充分且つ完全に存在することの認識を有しながら敢て不完全且つ不充分に発表して事実をかくした記載をしたか否か等犯罪構成事実の存否を審判する権限をも有するものといわなければならない」と説示しているが、それは当該事実に対する被告人の主観的認識の有無即ち犯意について審判する権限があるという趣旨に過ぎないのであって、未必的故意では足りない特殊の確定的な犯意を必要とする趣旨でないことは明らかである。原判決は「昭和二二年勅令第一号第一六条違反事件を審判するに当っては裁判所は、その犯罪構成要件である調査表作成者がその調査表を作成するに際し……………記載しなければならぬ事項が充分且完全に存在することを認識していたに拘らず、敢て不完全且つ不充分に記載して事実をかくした記載をしたかどうかについて審判する権限があり、また審判しなければならない」と判示しているが、これも前記大法廷判決の文句を踏襲しただけのことで、その趣旨はやはり、当該事実に対する被告人の主観的認識即ち犯意の有無について審判する権限があるという意味で、特殊の確定的犯意を必要とし未必的故意を認めない趣旨であるとは解せられない。而して原審は当該事実に対する被告人の主観的認識の有無について審理した結果被告人には過失はあるが、その犯意(未必的故意をも含めて)は認められないという結論に到達したものであることは判文の全趣旨から窺知することができるのである。なお論旨は調査表の記載について調査表作成者に対し十分な調査と記憶喚起の義務を要求し、この義務を怠り不実の記載をした場合にも故意ありと解すべきであると主張するが、本件勅令第一号第一六条の規定が故意犯を処罰する規定であって、過失犯を処罰するものでないことは疑を容れる余地がないから、過失による不実記載をも故意犯として処罰すべしとする論旨は独自の見解であって採用できない。これを要するに原判決には所論のような違法はなく、論旨はいずれも理由がない。
同第四点について。
原判決は日本国家社会党関係について被告人の犯意の有無を審理した結果被告人の犯意の証明が不充分であると判定したものである。論旨はその判断が著しく経験則に違反する違法があると主張する。しかしこの点に関する原判決の判断は要するに原判示の(イ)(ロ)(ハ)において認定した各事実関係から考えると、被告人が本件調査表作成提出当時日本国家社会党との関係について、その認識があったものと推定することができないのみならず次の諸点を綜合すると、むしろ被告人は当時同党との関係につき認識がなかったことが窺われる旨を判示し、原判示の(1)、(2)、(3)の諸点において詳細なる説明を与えているのであって、結局被告人は同党との関係につき何等の調査もせず、たゞ漫然同党とは事実上関係がなかったものと軽信して、(即ち過失により)その記載をしなかったもので、被告人には犯意がなかったと認定したものである。そして原審の採用した証拠及びその認定した事実関係から原判示の判断をすることができないものとも認められないから、右判断が所論のように著しく実験則に反するものとは認められない。所論は畢竟原審の専権に属する証拠の取捨判断及び事実の認定を非難するに帰し、上告適法の理由とならない。
同第五点の一について。
本件公訴事実の中皇道会の事業目的に関する事実は、皇道会は皇道政治の徹底、既成政党の積弊打破、資本主義経済機構の改廃、国民道徳の振興、国防の完備、国際正義の貫徹等の事業を有するにかかわらず被告人は同会の事業目的として小作農民の地位向上とのみ記載し、調査表の重要事項について虚偽の記載及び事実をかくした記載をしたというのである。そして原判決は被告人が皇道会の事業目的を小作農民の地位向上とのみ記載したのは皇道会の事業目的の記載としては不充分且つ不完全ではあるが、被告人の所為は過失に基因するものであって犯意の証明が不充分であると判定しているのである。従って、仮りに事業目的の意義について所論のような違法があるとしても、その点の違法は原判決に影響を及ぼさないことが明らかである、それゆえ論旨は採用できない。
同第六点について。
論旨は原判決が調査表第一六項の「団体の事業に関係した程度及び刊行物の編集その他活動状況」の欄に記入すべき刊行物の編集は、名義上の編集人となった場合についても記載を要すると解すべきにかかわらず、原判決がこれを編集の実務に従事した場合に限ると解したのは違法であると主張する。しかし原判決は仮りに名義上の編集人となった場合でもその記載を要するものとしても、被告人は本件調査表を作成する際は雑誌「皇道」の編集兼発行名義人であったことの認識を欠いていたものと認めているのであるから、原判決に所論のような違法があると仮定しても、その違法は原判決に影響を及ぼさないことが明らかである。従って論旨は採用できない。
よって旧刑訴四四六条により主文のとおり判決する。
右は裁判官全員の一致した意見である。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 塚崎直義 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上登 裁判官 栗山茂 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 穂積重遠)